文化・芸術

2018年4月 7日 (土)

柳崇さんの夏帯、夏大島紬の小格子

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柳崇さんの夏帯に、東郷織物の夏大島小格子。

色目に関しては挑戦的な取り合わせです。涼やかな色目を夏用に取り合わせすると『夏の和装の色目はパジャマみたいだね』と、ある方に言われ、気をつけねば!と思っていたのですが、届いた柳さんの帯は、昨年よりも濃いめの茶そして緑。
素材や組織は涼しげなので、ここはあえて茶で固めてみました。

現実的には違う着物を合わせると思いますが、もしこの組み合わせでお召しになられる方がいるならば、私は思わずハグしたいです。
東京三人展に出品しますので、是非ご覧下さい。

帯締は?帯揚は?草履、日傘は?襦袢は?と想いは巡りますが、三人展はこまもの玖さんが居るので、全方位網羅的セレクト小物から、きっとハッとするようなコーディネイトを提案してくれるはずです。しかし、、、いくらなんでも暑苦しい色合わせかな、、、汗

もう一つ、柳晋哉さんの夏帯もあるのですが(DM柄ではなく)、これもかなり挑戦的な夏帯で、さてどんな着物を合わせようかと考えております。

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安心出来るグレーの着物に変えてみました。小格子夏大島紬は、3色(グレー、濃いグレー、茶)揃えています。お値頃な反物なので、小千谷縮みの次に夏の絹織物としてお勧め出来ます。先の投稿でも登場した、柳崇さんの夏帯を合わせています。

なか志まや・一衣舎・こまもの玖 東京三人展
4月13日(金)から16日(月)4日間
代官山ヒルサイドテラスE棟ロビーにて
11:00~19:00(最終日は17:00まで)
東京都渋谷区猿楽町29-18ヒルサイドテラスE棟

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2016年8月16日 (火)

『祈り』 彫刻家 岸野 承さんの作品

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大徳寺のなんとか院(忘れました;;)、300年前の古材から制作されたものです。染織家 志賀松和子さんに紹介して頂いて、一度でファンになりました。今年の春に出会った作品で、選んだ時はまったく気に掛けていなかったけれど、銘は『祈り』。
作品に対する時の角度や気分で、仏様にもマリア様にも見える不思議な彫像です。


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2012年5月 3日 (木)

小谷口剛氏の漆器

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そろそろ岐阜県の郡上八幡で、5/24〜28に行なう『愚浄山房展・衣和住』のことをもっと詳しくお話して行かねばなりません。。。気が焦るばかりですが、工芸の部で参加して頂ける山中漆器の小谷口剛さんの漆器のことを少し。

数時間前の小谷口さんのtwitterに書かれていたことををまず、引用して。。小谷口さんらしいつぶやきです。前のツイートは少し飛ばしまして、、

『もし個展をやらなきゃいけなくなったら、出品するのは多くて四つ。杯、椀、盆、鉢。原価率なぞおかまいなしの芸術作品じゃあるまいし、全部売れても10万円にもならぬ。で、そんな殺風景な個展じゃ私もギャラリーも大赤字。なのでやらない。』

『世界でいちばん薄い杯は、世界にひとつしかない。あたりまえだ。いまは大阪の枚方にあって、次は岐阜の郡上へ行く。同時存在は不可能。そんでその杯は四千円。そういう話。』

ここだけ抜粋するとちょっと意味が間違って伝わる可能性がありますが、、
そこで、今一度小谷口さんのブログを拝見するとこんな記事があります。ブログの中で『私が作る漆器』というページにある一つの項目です。

この>薄挽き干菓子盆もじつに美しいですね。

漆器を日常使いにしてみたいと、そんなあこがれ?をお持ちの方は、小谷口さんの作品をお薦めいたします。と言う私も、まだまだこれからなのですが。。。今回の郡上八幡での展示会で作品は見ていただけますが、個人的に相談も乗って頂けるようですので、ブログを参考にしつつ愚浄山房展でも、じっくり見て頂ければうれしいです。

最後に僕のお気に入りの彼のつぶやきを一つ。

『私は自分が作る漆器を「百年使える品質とデザイン」と謳っています。これは謳っていると同時に、慣れや惰性といった何やかやを自分に課してもいるわけです。で、これは誇張でもなんでもないですし、畢生の宮大工西岡棟梁は、木材は千年もつと言っています。言い換えれば、百年など当然でもあるのです。』


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2011年12月 4日 (日)

魯山人と山下清と山中漆器と来年の愚浄山房展

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11月末、新作展を数日後に控えながら、加賀市の山中漆器、たに屋の小谷口剛さんを訪問してきました。
twitterで初めて小谷口さんを知ってから、その博識ぶり、漆器に対する姿勢に勝手に共感を覚え、いつかお話を聞いてみたいと思っていたのでした。

思えば、染織以外の作家さんで、工房を訪ねたのは小谷口さんが初めてのような気がします。
彼が作る応量器の美しさに惹かれたのが、漆器に興味を持ち始めたきっかけなのですが、工房を拝見して様々な漆器を見ていると、その美しさの他に、素晴らしく機能性を持った器なのだと実感できました。

来年5月に郡上八幡で予定しています、第2回『愚浄山房展』に工芸の方々にも参加して頂こうと企画していまして、小谷口さんもそのお一人なのです。衣食住とよくいいますが、そろそろ食する事、住まう事との繋がりを深めて行きたい年頃になったのでしょう(極めて遅いですが;;

小谷口さんの漆器につきましては、これからここでも紹介して行きたいと思います。
自分自身が、漆器の『いろは』のいも知らないもので、ただ感覚的に美しい!というこの一点から始っていますので、来年5月にむけて、勉強をしたい所存です。

加賀市で宿泊したのが、たに屋の漆器を使われている『白銀屋』という宿です。


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ここは魯山人所縁の宿で、今は星野リゾートの経営になっているようですが、ここに魯山人の書と器が展示されたギャラリーがありました。魯山人のことは正直詳しくないのです。漫画『美味しんぼ』海原雄山についての方が寧ろ知っていると言う体たらくですが、ここで見た魯山人の器にはじめて、『これ欲しいな〜!』と思ったのです。それがこの画像。よこにあるのが魯山人が書いた白銀屋の看板。


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魯山人が陶芸に開眼したとされるのが、ここ山代の地でその当時の白銀屋店主と意気投合して、この宿に幾度も逗留したようです。陶芸を教えたとされるのが九谷焼の初代須田青華で、その作品も展示してあります。目を引いたのがこの画像、山下清です。


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おもわず、染色家・仁平幸春氏が描いた4歳画のピカチュウの絵を思い出したのは、個人的な話で分かり辛いですね。

雪が降る前に、群馬、長野、金沢と車での強行軍はかなり疲れましたが、大きな収穫となりました。


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2010年11月 7日 (日)

ルーシー・リーと阪口鶴代

ルーシー・リーという陶芸家の事を知らないくせに、その陶器をモチーフにした帯に一目惚れした。ネットで調べて、ああ〜〜この方の器なのね!となるのだが。。。

曖昧で表層を漉くような知識しか持っていないジャンルが多い自分で、お客様に対する説得力がまだまだ足りないと反省しきりなのだが、知識は無くとも鼻は効く。
なんとも言えない味のある文様を、洛風林が独特の解釈で見事に表現している。

阪口鶴代さんの個展が、9日より阿曽美術で開催される。
故塚田晴可さんのギャラリー無境がない今、初めて違う処で個展ではないだろうか。
塚田さんが亡くなられて一年。ようやく阪口さんの画を観られる。

あるお客様から、阿曽美術の阿曽さんを紹介しますよ!との御好意を受けるが、恐れ多くて辞退する。まずは自分の今の力だけで観て来たいと。。。でも本当は、しっかりとしたお話が聞ける絶好の機会なのだが。。。

今は、まだ阪口鶴代さんの絵は買えない。
でも、近い将来、必ず買わせて頂きたいと心は決めている。

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2010年8月21日 (土)

阪口鶴代さんについて

ギャラリー無境のホームページより

阪口鶴代 SAKAGUCHI Tsuruyo <絵画>
1955年和歌山県生まれ。1981年東京芸術大学美術学部油画科卒業。1983年東京芸術大学大学院油画技法材料専攻修了。1985年東京芸術大学大学院保存修復技術専攻修了。1988年~1989年イタリア・ギリシア旅行。1998年、1999年(NICAFに出品)、2001年、2003年ギャラリー無境にて個展開催。


約2年に1回のペースで、ギャラリー無境でのみ作品を発表している阪口鶴代さん。今は伊豆に住み、美しい自然からインスピレーションを受けながら、静寂の中で制作に打ち込んでいます。技法は、シナベニヤのパネルに和紙を貼り、天然の白亜を染み込ませた下地の上に、岩絵の具や土石を砕いて作った手製の顔料で描くという独自のものです。一枚一枚ゆっくりと描き深められた作品は、日本画・洋画という分類を超えた独特の質感を持ち、心の奥深くに響いてくる無垢な美しさに満ちています。

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『つき抜けるまなざし』(日本・阪口鶴代作)

 時を経たやつれが美しい、百万塔に残る白土の白。薄明かりの茶室にほんのりと浮かぶ、志野茶碗の白。そして阪口鶴代の描く、岩絵具の白。ある時は暖かな光のように慈愛に満ちて、またある時は降りしきる雨のように索漠として、彼女の白はそれぞれに微妙なニュアンスを持つ。きっぱりとした白亜と群青(焼き群青)のコントラスト。細かく引かれた線は、不定形のイメージを紡ぎ続けてやまない…いつしか思いは何処かへと浮游してゆく。なんという静けさなのだろうか。音の無い世界で、あなたはもう一人のあなたと巡り会うのだろう。懐かしさと戸惑い。喜びと恐れ。無垢な心が描く世界のなかで、わたしたちは皆、剥き出しの魂を抱いた幼児のように美しく透き通っている。阪口鶴代はわたしの大切な、そしてまだまだこれからが楽しみな画家のひとりである。

他の方のネットから抜粋

同じ銀座の画廊で兄の弟子という方が個展を開いているというので、そちらに回ってみた。
 阪口鶴代という、まだ中堅といっていい女性の画家である。この人は油絵の出身だが、芸大卒業後も兄のグループの一員として活動を続けてきた。現在は伊豆の自然の中で、ひとり地道な制作を行なっておられる。
 じつは私は、いわゆる抽象画というものがよくわからない。
ゴッホは20世紀絵画への重い扉を開いた画家の一人だが、ごく大雑把にいえば、それはフォーヴィスム(野獣派)やキュビズム(立体派)などに引き継がれて、やがて現代の抽象画へと変貌する。その過程に無数といっていい表現手法が編み出されるが、いずれもが画家の自己表現の究極の手法といっていい。それらをひとくくりにして、ここでは「抽象画」といっているが、私にはどうもそういう絵がよくわからないのである。したがって、あまり期待せずにこの画廊を訪れた。
 阪口氏の絵は、ご本人の了解を得たわけではないが、それら「抽象画」の部類に入るだろう。小さな画廊に20号前後の絵が10点ばかり展示されていた。しかし入口に掛けられた最初の絵を見るや、妙に心が動かされた。黒と濃い群青を背景にして白っぽい壁が描かれているだけの絵なのだが、画面全体から発する「気」のようなものが、心の琴線を打った。その「気」の源流は、おそらくこの画家が持って生まれたロマン的なメランコリーであり、それに裏打ちされたひたすらな努力と誠実さなのだとおもう。画面のそこかしこからそれを感じ取ることができるし、「ここまで真摯な姿勢で描くのか」と感じ入ってしまう。その作風と姿勢は、『アルル〜3』の章で書こうとおもっているアドルフ・モンティセリ(1824〜1886)に似通ったところがあるだろう。現代、無数の画家が活躍し、そのほとんどが自己表現手法に苦しみ、挙句の果てに愚にもつかない安易な道を選んでしまうという惨憺たる状況のなかで、これほどの誠実さで自己を見つめ表現する画家が存在することは、画壇の将来に一筋の燭光を見たような気がする。ともあれこの日は、久しぶりに「若手」の本物の絵を見せて頂いた。

ネットから抜粋

温かみのある、それでいてしっかりとした色彩や形が、独特の質感で描かれ、あらゆる形容詞の対義語を思い出させる。大胆さと繊細さ。柔らかさと強さ。温かさと冷静さ。 外側への力と内側への力が、均衡を保っているのか、観ていて不思議と気持ちが落ち着く。

板に和紙を張り、その上に「壁」を塗ったキャンバスへ、岩絵の具で描かれたそれらの抽象画は、さまざまなイメージを持つ青の印象を、最後に強く残すように思えた。


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